DESIGNER

Charlotte Perriandシャルロット・ペリアン
フランスの建築家・デザイナー。
1925 年パリの装飾美術連合学校(エコールUCAD)を卒業後、自らのアトリエを開設。同年、サロン・ドートンヌに出展した「屋根裏のバー」で注目を浴び、これをきっかけにル・コルビュジエの事務所で前川國男や坂倉準三、ピエール・ジャンヌレらと共に働くことになります。その後、シェーズロングを始め、数々の名作をコルビュジエとともに世に送り出しました。
1940年には、坂倉準三の誘いで、輸出工芸指導の顧問として日本へ招かれ、1年余りの滞在期間に日本各地を柳宗理の案内でまわり、日本の伝統的な暮らしや美意識に深い感銘を受け、その後の作品に強く反映されています。

Jean Prouvéジャン・プルーヴェ
ジャン・プルーヴェは、20世紀のモダンデザインおよび建築の発展において、極めて重要な存在となったフランスのデザイナー・建築家。
アール・ヌーヴォーを牽引した芸術家集団 École de Nancy(エコール・ド・ナンシー)の創設者の一人であった父のもとで育ちました。「芸術を全ての人に」「芸術と産業の融合、社会的意識」というナンシー派の理念は、彼の生涯のクリエイションを支える確かな礎となります。
1916年から鍛冶職人の修業を積んだプルーヴェは、1924年に自身のアトリエを設立。曲げ加工を施した薄い鋼板の強度と合理性に早くから着目し、この分野の研究に特化していきます。1930年には Le Corbusier(ル・コルビュジエ)や Charlotte Perriand(シャルロット・ペリアン)らと UAM(現代芸術家組合)を創設。著名な建築家たちとの深い親交の中で才能を開花させていきました。
彼のデザインを象徴するのが、構造の必然性から生まれる洗練された機能美です。1934年発表の「Chair no.4」は、のちに代表作「スタンダードチェア」の最初期モデル。最も体重がかかる後脚に太く平らな曲げ鋼板を用い、前脚には細いスチールパイプを配したシルエットは、力学的な要求をそのまま形にしたものでした。
第二次世界大戦後には、ナンシー郊外のマクセヴィルに自社工場「Ateliers Jean Prouvé」を開設。高品質で量産可能な家具や、移動・解体が容易なプレハブ住宅を次々と開発し、建築生産の工業化に革新をもたらします。1953年に工場を離れた後もパリを拠点に、コンサルティングエンジニアとして重要な建築プロジェクトに参画。1971年にはポンピドゥ・センターの設計コンペで審査委員長を務め、Renzo Piano(レンゾ・ピアノ)らの革新的な建築を選出するなど、次世代の建築史の扉を開く役割も担いました。
自身を建築家やデザイナーではなく、常に「工場の人間」であると公言していたプルーヴェ。
「私にとって、家具の製作と、家の建設の間に違いはない。それらはすべて同じ方法で、同じ厳密さをもって設計されるべきなのだ。」
金属加工技術に裏打ちされた構造の誠実さと、社会への強い使命感。その融合から生まれたプロダクトは世界中の美術館に所蔵され、いまなおモダンデザインの本質を問い続けています。
