























DESIGNER
Gerrit Thomas Rietveldヘリット・トーマス・リートフェルト
20世紀を代表するオランダの建築家・デザイナー。
オランダのユトレヒトに生まれ、11歳のときに家具職人の父のもとで働き始めます。
1904年から1908年にかけて美術工業教育の夜間講座を受講。デッサン、模型、製図、そして様式と装飾の理論を学び、昼間は宝石商 C.J.A. Begeer(C.J.A.ベギーア)の金細工工房に務めます。1917年には自身の家具工房を設立すると、翌年には彼の代表作となるレッド&ブルーチェアの最初のプロトタイプを製作。当時は全体が無塗装のウッドフレームで構成されていました。
同時期の1917年にはオランダの重要な芸術運動「De Stijl(デ・ステイル)」が設立。原色と無彩色、正方形と長方形、直線及び非対称性をもとに、建築と絵画の両側面から抽象表現を追求します。リートフェルトは1919年に参加。メンバーであったオランダの芸術家 Bart van der Leck(バート・ファン・デル・レック)らとの交流を通じて、1923年以降、レッド&ブルーチェアが現在のような3原色と無彩色によるカラーリングになったと言われています。
またこの頃、彼は徐々に建築家としての依頼を多く受けるようになります。1924年、自身の家具工房を、従業員であったGerard van de Groenekan(ヘラルド・ファン・デ・グローネカン)に譲り渡し、リートフェルトは建築家としてユトレヒトに定住します。
そして同年、代表作であるリートフェルト・シュレーダー邸を手掛けます。この建物はデ・ステイルの思想と機能主義の思想を組み込んだデザインで、Mart Stam(マルト・スタム)、Eileen Gray(アイリーン・グレイ)、Aino Aalto(アイノ・アアルト)などの各国の著名な建築家も訪れ、2000年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
彼は合計100棟以上の住宅、3棟の公営住宅、そして12棟の大規模建築を設計。その中には、オランダの家具デザイナー Martin Visser(マーチン・フィッサー)の自邸、ヘリット・リートフェルト・アカデミー、ゴッホ美術館などがあります。
また、生涯を通じて家具デザインを続け、その数は合計350点を超えます。ベルリンチェア(1923年)、ジグザクチェア(1932年)、クレートファニチャー(1934年)、ステルトマンチェア(1963年)など数々の名作を残し、近代デザインの発展に多大な影響を与えました。