Sigurd Lewerentz

Sigurd Lewerentzシーグルド・レヴェレンツ

1885 - 1975

シーグルド・レヴェレンツ(1885-1975)の作品は、およそ70年に及びます。
ヨーテボリのチャルマース工科大学で建築を学んだ後、ドイツで修業。ストックホルムに定住、1911年に最初のアトリエを開きました。1915年、グンナール・アスプルンドとともにストックホルムの新しい墓地(ウッドランド墓地)の設計で国際建築コンペティションの一等賞を受賞しその地位を確かなものとのしました。その後レヴェレンツは単独で、ネオクラシック様式の復活礼拝堂(1925年)を設計し、敷地計画や造園の多くも担当しています。

1930年のストックホルム万国博覧会では、住宅、家具、グラフィックなどさまざまなデザインを手がけています。また、イデスタというブランドで金属製の高級ドアや窓ユニットを発表しています。

機能主義の段階での最も重要なプロジェクトは、国民保険委員会ビル(1932年)でした。そのわずか数年後、彼の「白の時代」は終わりを告げ、ファルスターボのヴィラ・エドストランド(1937年)に見られるような、際立った物質性の建築を展開し始めます。マルメの東部墓地にある聖クヌート礼拝堂と聖ゲルトルート礼拝堂(1943年)も、同じように物質性を強調しながらも、より繊細なディテールが特徴的です。マルメ市立劇場(1944年)では、ダヴィッド・ヘルデンとエリック・ラレルシュテットとの共同設計を行なっています。

また、その生涯の終わりには、2つのユニークなレンガ造りの教会を完成させました。