Shiro Kuramata

Shiro Kuramata 倉俣史郎

1934 - 1991   
1934年に東京で生まれ、幼少期を理化学研究所(理研)の社宅で過ごします。この時期に建築の青写真を目にし、作業場に出入りした体験が生涯の創作活動に大きな影響を与えます。

1956年桑沢デザイン研究所リビングデザイン科を卒業後、イタリアの雑誌『Domus』(ドムス)に出会い衝撃を受け、Domusに載るようなデザインを創ろうと決意し、三愛、松屋百貨店を経て独立。

1960年代から70年代にかけては、無重力、透明性、浮遊感、光といったコンセプトを、素材の特性を通して追求しました。倉俣はこの頃、一般的に使われる「引出し」ではなく「抽斗」という言葉を用いており、そこには幼児体験がプロダクトの原動力となる彼独自の思考がありました。この時期、初期の代表作となる1967年発表の「引出しの家具」シリーズや、1976年に三保谷硝子産業との協業により誕生した Glass Chair(硝子の椅子)を手掛けます。新開発の接着剤フォトボンドを用いることでフレームのない透明構造を成立させ、重力からの自由を表現した傑作として世界中の美術館に収蔵されています。

1981年になると、Ettore Sottsass(エットレ・ソットサス)からの招待を受けデザイン運動 Memphis(メンフィス)に参加。ソットサスからの「堕落しろ」というメッセージを契機に、それまでの自己規制から解放された倉俣は、大きな変貌を遂げます。

80年代後半以降、彼はミニマリズムからの脱却として、デザインを全く別の詩的・空間的な文脈へと転換。それまでの素材探求に加え、個人の心情や内省的な物語性を表現し、のちに名作とされる数々のプロダクトを手掛けます。
Josef Hoffmann(ヨーゼフ・ホフマン)の椅子を燃やし、その輪郭をスチールで残した Bejin The Beguine(ビギン・ザ・ビギン)や、エキスパンドメタルを用いた How High the Moon(ハウ・ハイ・ザ・ムーン)、アクリルの中にバラの造花を封印した Miss Blanche(ミス・ブランチ)を次々と発表。また、後に Issey Miyake Men 渋谷西武百貨店の内装材として展開するきっかけとなる、メッシュ素材を初めて使用した Twilight Time(トワイライト タイム)をデザインしたのもこの時期です。

彼は「デザインにおいて根源的な喜びが機能を超えなければならない」と主張し、美と実用性の真の一体性を追求し続け、没後30年以上たった今もなお、彼のデザインは多くのデザイナーに影響を与え、世界中で愛されています。