GEOMETRIC|MONOCHROME GEOMETRIC|MONOCHROME

FOCUS ONGEOMETRIC|MONOCHROME

DESIGNER : Ettore Sottsass , Mario Botta
Philippe Starck , Agnès & Hiroyuki Yamakado and More

AGE : 1970s - 1990s

OPEN : 8.5 sat. - 8.27 sun.
Tsu. Wed. Fri. Sat. Sun. & Holiday

OPEN HOUR : 12:00 - 19:00

CONTACT : 03 4285 4128

Focus on GEOMETRIC|MONOCHROME

より自由で多様な表現を求めたポストモダン運動を始めとし、幾何学的フォルムがインテリアに数多く取り込まれた1980年代。

アール・デコが見直されるなど、戦後の復興に対しての機能的な家具デザインから、よりデザイナー自身の表現をプロダクトに反映することが可能になったこの時代。デザイン集団「メンフィス」などの設立により、ユニークな構造や目を引く色彩など、実験的な表現の可能性が探求されました。

今回 stoop では 8月5日(土)から、そんな 80年代に製造された幾何学的なフォルムの家具にフォーカスし、ポストモダンスタイルとして区分されるプロダクトを中心に、メンフィスに所属し国際的に活躍したデザイナーである Ettore Sottsass(エットレ・ソットサス)や、国際的な建築家である Mario Botta(マリオ・ボッタ)Philippe Starck(フィリップ・スタルク)などのヴィンテージ作品を含む、約70点にも及ぶプロダクト群を展示・販売いたします。

また同展示では、家具のデザインを構成する上で主要となる 色彩・デザイン・素材感 3つの要素の中で、“色彩” をモノクロームに絞ることで、デザインとしての造形美をより深く鑑賞できる機会を提供できればと考えています。

※ 写真は Mario Botta(マリオ・ボッタ)による “Tesi” テーブル、”Seconda” “Latonda” チェア。

Agnès & Hiroyuki Yamakado + TOOPERSON

合わせて、1980年代にパリを拠点に活躍し、世界中で6万脚以上が販売されたチェア「CINDERELLA(シンデレラ)」を始め、数々の名作を生み出した、フランス人・日本人からなるデザイナーユニット「Agnès & Hiroyuki Yamakado(アグネス & ヒロユキ・ヤマカド)」より、日本初となるプロダクトの展示・受注販売を行います。

また、特定の思想や分野・個人・事象に焦点を当てたキュレーションプロジェクト TOOPERSON 協力のもと、本企画に焦点を当てたミュージアムグッズの販売も実施するなど、ポストモダン精神を汲み、より実験的なアプローチで本企画を開催できればと思っています。

※ 写真は Agnès & Hiroyuki Yamakado(アグネス & ヒロユキ・ヤマカド)による “Etretat” テーブルと “Cinderella” チェア。日本初となる受注販売を行います。

ふと立ち止まって、デザインに耳を傾ける。
プロダクトの底に流れる彼らの言葉や想いは、時代を超えた一つのコミニュケーションを通して、自分自身の新たな表現の描き方を教えてくれるようです。

ぜひこの機会にお立ち寄りください。

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GEOMETRIC|MONOCHROME 展

会期:8月5日(土)〜 8月27日(日)
オープン:火・水・金・土・日曜+祝祭日(12時〜19時)
クローズ:月・木(アポイント制での対応を承っております)

会場:stoop
住所:東京都江東区白河2-5-10
清澄白河B2出口より徒歩3分
東京都現代美術館より徒歩6分
お問い合わせ:03 4285 4128

GEOMETRIC|MONOCHROME

モダニズムからポストモダンへ



近代化による装飾を排除した機能的なモダニズム建築に異議を申し立て、より自由で多様な表現を求めたポストモダン運動。

世界的な視野で見ると、1960年代アートの分野ではコンセプチュアルアートやポップアートが全盛期を迎え様々な芸術活動に影響を与えた時代。建築界ではイギリスのアーキグラムといった前衛建築家集団が、巨大都市が歩いて移動する構想「ウォーキング・シティ」を唱えるなど、画一的な近代建築に対して、より自由でポップな建築のあり方を表現しました。

イタリアでは、これらの影響を受けた学生運動や建築家による議論が盛んに行われ、1960年代後半には「スーパースタジオ」や「アーキズーム」など、近代建築に異議を唱えるデザイン集団の活動が台頭していくこととなります。


スーパースタジオ(1967-1973)

アドルフォ・ナタリーニを中心として結成。建築の技術・機能的な側面への言及を一切せずに、コンセプチュアルな実践活動、建築とアートの融合を行い、批評的な活動を行ないました。代表作としては、白いグリッドが二ューヨーク中を覆い尽くすという壮大な物語を描いた「コンティニュアス・モニュメント」。
スーパースタジオ はこの巨大な建造物が様々な場所にあることを想定して創作を進め、新しい形式の建築の数々を打ち出します。




アーキズーム(1967-1974)

後のメンフィスのメンバーでもあるアンドレア・ブランジを中心に結成。建築から服飾まで、デザインの垣根を超えた多くのプロジェクトを発表。近代建築の巨匠を捩ったチェア「ミース」や、カッシーナ社で商品化されたチェア「アエオ」などポストモダンの前身とも言えるプロダクトを製作。
代表的な作品は、建築物のない未来都市の提案を行なった「ノン・ストップ・シティ」。キッチンや、デスク、寝室などの生活要素を一つの箱に備え、必要に応じて収納・拡張ができる「ニュートラル・サーフェス」などを発表し、未来の生活のあり方を示しました。



これら2つのデザイン集団を筆頭とした、アンチテーゼを唱える活動は「ラディカル」と形容されるようになります。

1970年代になると、議論はさらに活発になり、ラディカルな建築家たちが集まり結成された「グローバル・ツールズ」や「スタジオ・アルキミア」などの70年代イタリアを代表するグループが現れます。


グローバル・ツールズ(1973-1975)

国際的なインテリア誌「ドムス」と並ぶ、イタリアのインテリア誌「カサベラ」。
その編集室に建築家たちが集まり、従来のデザインを否定した議論とパフォーマンス活動が行われました。

メンバーはカサベラ編集長アレッサンドロ・メンディーニ、メンフィス創設者エットレ・ソットサス、先述したスーパースタジオ・アーキズーム主導者のアドルフォ・ナタリーニ、アンドレア・ブランジなど、錚々たるメンバーが集結し、3年間という非常に短い期間で強烈なインパクトを残します。



スタジオ・アルキミア(1977-1989)

アレッサンドロ・メンディーニ、エットレ・ソットサスなどを中心に結成。
初期の家具コレクション「バウ・ハウス・ウノ」を開催。イタリアでは、犬の鳴き声を”バウバウ”ということから、「犬の鳴き声の家(バウ・ハウス)」という、工業的でミニマルな機能的主義を否定するアイロニーを込めた展示会を行いました。
1981年にはデザイン・リサーチへの革新的なアプローチが評価され、コンパッソ・ドーロ賞を受賞しています。



ポストモダン宣言とメンフィスの登場


こうした議論や活動が熱を帯びたイタリアでは、1980年にベネチア・ビエンナーレに建築部門が新設。初代ディレクターを務めたパオロ・ポルトゲージが遂に、「これからはポストモダンの時代である」と宣言し、ポストモダン運動はさらに加速していきます。

イタリアの巨匠ジオ・ポンティーにより創刊された国際的なインテリア紙 「DOMUS(ドムス)」には、1980年にアレッサンドロ・メンディーニが編集長に就任。

積極的にポストモダンの発信に努め、その年の表紙を毎号ポストモダン建築家の顔写真とし掲載していました。



※左から磯崎新、フィリップ・ジョンソン、エンツォ・マーリ、フランク・ゲーリー、ピーター・アイゼンマン


そして1981年、世界的なデザイン集団である「メンフィス(1981-1988)」が、エットレ・ソットサスを中心にいよいよ結成されることとなります。



※ 写真は梅田正徳による「TAWARAYA」にて撮影をするメンフィスのメンバー

メンフィス(1981-1988)

日本からは倉俣史朗や磯崎新、梅田正徳らが参加し、約20人の国際的な建築家やデザイナーで構成されています。
メンフィスはデザインに対するより広いアプローチの可能性を探求し、ラミネート板などの新素材の着目や、色彩豊かなカラーリングなどで視覚的に強く訴える表現を行ってきました。

インテリアの既成概念を根本から作り直し、世界中に強烈なインパクトを与えたメンフィスは、後に「ニュー・インターナショナル・スタイル」と呼称され、一つの新しいデザイン文化を築き上げたのです。