DESIGNER
Mies van der Roheミース・ファン・デル・ローエ
ドイツ出身の建築家・デザイナー・教育者。
Le Corbusier( ル・コルビュジエ)、Frank Lloyd Wright(フランク・ロイド・ライト)と並び近代建築の三大巨匠とも謳われ、生涯を通して国際的な活躍を見せます。
ミースが残した‘less is more’(少ないほど豊か)や‘God is in the details’(神は細部に宿る)という言葉はあまりにも有名で、彼の信条が鮮明に表れています。
ドイツのアーヘン出身のミースはブルーノ・パウル事務所(1905-1907年)、ペーター・ベーレンス事務所(1908-1912年)で建築家としてのキャリアをスタート。
伝統的な新古典主義の住宅を設計しながらも、近代産業に呼応した前衛的なアプローチをするようになると、1921年には全面ガラス張りの高層ビル「フリードリヒ通り高層ビル計画案」でセンセーショナルなモダニズムデビューを果たします。
その後も先駆的なプロジェクトを続け、世界遺産として名高い「トゥーゲントハット邸」(1928年)やバルセロナ万博の「バルセロナ・パビリオン」(1929年)を設計。
同時期には、ドイツ工作連盟主催の実験的な住宅展示会「ヴァイセンホーフ・ジードルング」(1927年)を開催。ミースが責任者を務め、ル・コルビュジエやピエール・ジャンヌレ、ヴァルター・グロピウス、マルト・スタムら錚々たるメンバーが集結し、近代建築の未来を示す重要な出来事となりました。
1930年からは、バウハウスの創設者であるヴァルター・グロピウスからの要請を受け、同校の校長に就任。ナチスに弾圧される1933年まで、モダニズムの推進に努めました。
その後は、弾圧を逃れ米国に移住すると、イリノイ工科大学の建築学部長に就任。
「ファンズワース邸」(1950年)や、フィリップジョンソンとの共作「シーグラム・ビルディング」(1958年)などを手掛け、近代建築の礎を築き上げます。
彼のインテリアプロダクトは1927-1932年の短期間にデザインされ、「ヴァイセンホーフ・ジードルング」で発表されたMRチェア(1927年)や、「バルセロナ・パビリオン」内のバルセロナチェア(1929年)などの名作の数々を残しています。